山本住職のシルクロード体験記
第4章 (第9部)
敦煌莫高窟 Mogao Caves
(現地2005年6月7日)
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甘粛省敦煌(トンコウ)DUNHUANG
莫高窟 Mogao Caves
第96石窟
- 北大仏殿 -
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第96窟
北の大仏「弥勒菩薩像」
「敦煌」が語られる際、この伽藍の写真が使われますね。
外からは、お顔は七階目位に当たる。
楼閣は岩山に沿って設営されております。 |
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敦煌の写真で、必ず一枚は紹介されますのが この石窟、第96号窟の大仏殿です。現在、この伽藍は9層建てですが、西暦1908年頃の写真では5層しかありませんでした。長期にわたり野ざらしであったため保存状態は極めて悪かったとのことです。そこで、敦煌地方の人々のご寄進によって修復され、今の9層建てになったのは1936年でした。
第96窟のご本尊の造営は初唐の695年です。
この96窟の素晴らしさは、外から見える9層楼閣ではなく、中のご本尊「弥勒菩薩」にあります。その高さは35.5メートルあり、世界の大仏の中で第3位を誇ります。実は、この弥勒菩薩像、もともと世界第5位でしたが、2001年に53メートルと36メートルのアフガニスタン・バーミヤン大仏喪失以後、格上げになったためのことです。ちなみに、現在の世界3大仏は1位が四川省楽山(ラーシャン)大仏 71.m、2位もまた中国国内の石仏 46.8m、そして3位がこの第96窟の弥勒菩薩像です。前者2体は、石の彫刻ですが、この弥勒菩薩像は、岩山そのものをくり抜いて台座の輪郭を造り、きめ細かく掘って泥を重ね塗りながら作られた塑像です。
莫高窟には2体の大仏があります。35.5メートルのこの96窟と、高さ26メートルの第130窟の大仏です。両者とも弥勒菩薩像です。この両者の大仏ですが、位置関係から小さい方の第130窟が「南大仏」、そして敦煌莫高窟で最も大きい第96窟が「北大仏」として知られております。残念ながら96窟の大仏は写真が資料集に無いので、取りあえず雰囲気として第130窟の弥勒菩薩像の写真をここに入れます。
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「南大仏」、第130窟の弥勒菩薩像。
高さ26メートル。 |
造営の初唐、695年には、中国の女帝 「則天武后」の時代でした。則天武后は仏教の力を利用し、政治を行いました。「自分は弥勒仏の生まれ変わり」といっていたので、一時的に弥勒仏を作るのがブームになりました。
権力の象徴であるこの規模の仏像造営に、確かに則天武后の影響があったことは、大仏を観察すると目の当たりにできます。それは、第130窟の南大仏の写真を見る限りでは他の仏像と変わりがありませんが、この96窟の大仏は、体型や着物からして女性に作られております。
1983年に撮影された北大仏を見つけましたので、今まで見て先入観として持っている「大仏の姿」と比較してみてください。
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「北大仏」、35.5メートル
体型、顔、胸元の着こなし、衣の装飾などから
この弥勒菩薩像は則天武后をモデルとした
女性像であることが見られます。 |
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ミニ知識 |
昔の書物には、敦煌莫高窟大仏は34.5mと書いてありました。
1999年、敦煌研究院による遺跡の発掘調査の際、この96窟から唐の時代の地面が発見されました。それにより、この石窟は各時代の床層があることがはっきりしました。また、その唐代の地面上に建立当時に使った柱の跡が残っておりましたので、設営当時のその層を根拠して、現在の高さ35.5mと再設定されました。
莫高窟の今:
現在でも毎年4月8日、地元の信者がこの北大仏に礼拝に来ております。今年の旧暦の4月8日は5月11日でした。当日は一日5000人以上の参拝者があったそうです。
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