山本住職のシルクロード体験記
第4章 (序)
敦煌莫高窟 Mogao Caves
(現地2005年6月7日)

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更新記録:
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甘粛省敦煌(トンコウ)DUNHUANG
莫高窟 Mogao Caves
(PREFACE)
  敦煌周辺のページで「西千仏洞」を最後に取り上げましたが、そこでも述べたように、「莫高窟」の別名は「千仏洞」であり、両方を含んだ総称なのです。この「千」と名付けられた背景を以前のページで書きましたが、ここは間違いなく「万仏洞」であります。その大規模と重要さは他に類がありません。
  敦煌の名前を世界的に知れ渡らせたのも、西暦1900年にこの莫高窟・石窟寺院からの莫大な文書の発見があったからです。忘れ去られた長い歳月の風化は勿論、こちらも川の際に作られておりますので、洪水や浸食により発見当時は各石窟は最悪の状態でした。



  敦煌市の東に砂漠があり、地面は歴史上長期にわたり現在に至っても敦煌の民の墓場として使われてきました。むしろ、町に近い一面が墓所言っても過言ではありません。この砂漠の道無き道を、約25キロ南に突ききるとポプラの樹が密集している場所に至ります。そこは鳴沙山(メイサザン)の東側の山麓であり、この地に735の石窟が現存します。そのうち、壁画や仏像を有する数は492とのことです。

  敦煌「莫高窟」(バッコウクツ)はシルクロード最高の仏教遺跡です。その価値は、1987年にUNESCO世界文化遺産に登録され保護さてれて来たことで知ることができます。しかし、それ以前に、宗教や様々な文化面を否定した1966年からの中国文化大革命運動の際にも、敦煌の研究者の嘆願によりその価値を中央に認めてもらい、運動の最中は護衛付きで守られた経緯があったことを聞かされました。もとは、

  なお、洞内では一切の写真撮影は禁止なので、入り口でカメラ類は全て預けなければならいため、個人撮影の内部写真はありません。ゆえに、説明のために資料として購入してきた書籍「敦煌石窟 DUNHUANG GROTTOES」(中国旅遊出版社、2004年7月発行)から洞内写真をお借りいたします。

  最後に、今回敦煌莫高窟研究院の李萍女子に大変細かな説明を頂戴いたしましたことを記し、ページ上でも御礼申し上げます。

莫高窟正面門




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