山本住職のシルクロード体験記
第2章 (第5部)
新疆ウイグル自治区 吐魯番(トルファン)」(13) 最終回
(現地 2005年6月5日)
火焔山とベゼクリク千仏洞




「シルクロード」天山北路の烏魯木斉(ウルムチ)から天山の東南側へ
抜けると新疆ウイグル自治区、吐魯番(トルファン)
Turpan
柏孜克里克(ベゼクリク)千仏洞

  説明に入る前に、面白いお話を一つ。
  シルクロードに限らず、様々な場面で数の多いものに「千」と名付けられているのにお気づきのことでしょう。この「千」ですが、実際にどう見てもそれ以上多くても、千と付いております。実は、これらの命名は、それを発見あるいは作った者が付けたのです。
  中国や日本の文化では、一、十、百、千、万、十万、百万と数え、「万」の位が大きい数になりますので、「八百万」などという言葉も派生しました。しかし、西洋の場合数学的に一、十、百、千、十千、百千であり、三桁で束ねられて考えられております。したがって、これら「千仏洞」などと名付けた者は、「万」の文化人ではなかったことが判明いたします。
  もしも、万の文化人が名付けていたならば、間違いなく「ベゼクリク万仏洞」になったでしょう。
  ちなみに、みのもNたさんの「クイズ・ミリオネア」のミリオネアとは百万長者であり、西洋の文化では「千」の次に大きい「ミリオン」の位ですから、大層な高額と受け止められます。
ミリオンが英語なので、厳密に米ドルでミリオネアとなりますと、一億円ちょっとになりますので、最初から「クイズ 億万長者」にしておけば かなり視聴者も増えたかも・・・。

  では、ベゼクリクの紹介文へ進みましょう。


  新疆地区にはじめて外国の信仰が伝わったのは仏教であり、それゆえ、ここで中国最古の仏教壁画・洞窟美術の発展を見ることができます。地域での仏教信仰の定着と共に、トルファンが地理的にシルクロードの仏教の中心となりました。

  このベゼクリク千仏洞は、トルファンより東へ45km、ムウトォウ谷の崖っ縁に位置し、西暦6世紀〜14世紀年まで造られました。掘って造られたもの、日干しレンガで造られたものや、両方法を用いて造られたものがありますが、最古の石窟は5から6世紀の唐の時代にさかのぼり、当時はNingrong寺院として知られておりました。最盛期には総数83あったと見られますが、現存する数は57窟しかありません。窟内表記が古代ウイグル文字、漢字、他国語で発見されており、また壁画には当時の生活、文化、服装、住居、民族が描かれているので、貴重な歴史的資料となっております。

  ベゼクリク千仏洞は、現在でいわれるウイグル王国の前身でありますHuihu西ウイグル王国の王家寺院でした。13世紀末に現在の甘粛省のYongchangへ移住し、ちょうどそのころに回教が伝わり、トルファンでの仏教は次第に衰退していった経緯があります。この石窟寺院も宗教的重要性が薄れるにしたがい放置されました。また、異教徒による破壊や時代時代の盗掘、並びに諸国探検隊の「持ち帰り」により、現存保護されている延べ1200平米の壁画は、40以上の石窟内でしか見られなくなってしまったといわれています。

  言うまでもなく、各石窟の内部は撮影禁止です。残念ながら、私の撮影したものはございませんのでここでお見せはできません。



  壁画の中でも、特に素晴らしく重要なのが「誓願図」と呼ばれるもので、国王が造らせた第15号窟の回廊にありました。過去形で書くのも、これは既に幾国かに分散され、中には先の第2次世界大戦の際、空爆により破壊されてしまったものも多くあります。この地には20世紀に入ってから、スエーデンのヘディン、イギリスのスタイン、ドイツのル・コック、ロシアのオルデンブルク、とともに我が本願寺第22代門主が仏教徒として現地調査を命じられた大谷探検隊が訪れました。

  なお、この程、宗門校の龍谷大学とNHKの合作により、世界に散らばってしまったこの第15号窟の壁画を、コンピュータ画像として再現することができました。言うまでもなく、白黒の写真しか残っていない図、全体のわずか一部分しか残っていないものや、当時の顔料の劣化分析などさまざまな難問を研究し、ついにコンピュータの中の空間ですが復元に成功しました。その結果は、NHKの「新シルクロード」、『トルファン 灼熱の大画廊』で今年2月に放送されました。再放送も予定されおりますので、是非ともそれもご覧ください。
  NHKアンコール放送「NHK新シルクロード」は、8月1日の夜11時から5夜連続で、今までの放送を見られます。なお、「トルファン 灼熱の大画廊」は8月2日、夜11時からの予定となっております。

石窟内は撮影禁止なので、屋外をぐるっと
パノラマ用に写しました。
ご覧になれますように、かなり大きな施設です。

各扉の奥が石窟となっており、限られた数だけ見学ができます。
この位置は、川岸から二段高くなっているところです。

茂った河川敷と対照的な対岸の不毛の絶壁。
これで360度です。

雰囲気だけですが、おわかりいただけたでしょうか?
右上方向から、外階段をおりてこの風景にたどり着きます。
息をのむ美しさです。右上が火焔山です。

岩をくり抜き、これだけの寺院建立と装飾を行わせた信仰心は、
仏教が世代を超えてこころの支えとなったことを表しております。
ベゼクリク千仏洞 第15号窟

龍谷大学の手により、全ての壁画がコンピュータ
画像として再現されました。
川へ下りる途中にいくつかの
日干しレンガ造りの建物があります。

以上で、第2章 第5部 「火焔山とベゼクリク千仏洞」の終わりです。
第2章 トルファンは今回で終了いたします。  
次回から第3章として、敦煌(とんこう)へご案内いたします。




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