山本住職のシルクロード体験記
第2章(二日目)
新疆ウイグル自治区 「吐魯番(トルファン)Turpan」(序)
(2005年6月4日)

第1部 2005−07−06  (1) ウルムチからトルファンへ
第2部 2005−07−10  (4) 現在のトルファン
第3部 2005−07−12  (7) 交河故城
第4部 2005−07−17  (9) 高昌故城とアシタナ古墳
第5部 2005−07−21  (1213ページ) 火焔山 と ベゼクリク千仏洞

  まずは予備知識から。

  新疆(しんきょう)ウイグルのこの地は、いうまだもなく 内陸地です。行政上、現地標準時間は北京時間です。しかし、ここに無理があります。 実際に日の出が1.5時間遅いです。話しを聞きますと、公な事は「北京時間」、生活時間は約2時間ほどゆっくりとしているとか。北京時間の朝8時では、まだ薄暗かった。

  ウルムチ(烏魯木斉)の漢民族の若者は、日本の若者と同じ服装をしている。話し言葉を聞かずにTシャツにジーンズ姿を見ていると、日本での一風景でしかないです。手には携帯電話、勿論スーツ姿の若者にもそれはいえます。携帯電話は、2ヶ月分の給料ほど高価な物だそうで、やはりエリートの象徴。



  第1回のページでも触れましたが、中国についてのもう一つの誤解は、「人々の脚は自転車」。これも、もう過去のこと。街は自動車が主流。しかし、その辺も、中国4000年の歴史から見ればごく最近のこと。故に、歩行者と自転車は車と対等に大通りを行き来していた。自転車や歩行者の方がまだ大きな顔をして車の方に避けさせている現状を見る限りでは、相当に交通事故が多いようにも感じられますが、この地域では見られませんでした。生活がまだゆったりしているからでしょうか。なお、左ハンドルなので、通行は日本とは逆で対向車は左側を通ります。
  車事情ですが、現地生産の日本車、ドイツ車に、韓国産車が大多数です。日本車を所有するのは、成功者の証とか。「アメ車」は思っていたほど走っていなかった。
  ウルムチの路線バス運転手さんは、女性が多かった。ロシア系のガッチリした人や、ご当地のウイグル系の方でしたが、なぜか漢民族の方は一人も見なかった。
  バスで思い出しましたが、最新車両とともに、明らかに窓も閉まらないような往年の車両まで、現役で走っていました。さすがに、壊れたら修理するを実践してきた人々なので、小規模(個人営業)の修理屋さんが、中心街を離れた地域に多く見られます。



  では、そろそろウルムチからトルファンへの話しをいたします。舗装された道路はありますが、その道路もさほど古くありません。なぜなら、ただ一直線に道の両側の土を中央に寄せて、それを舗装しただけの「公道」。この道がなければ、ひたすらに行きたい方角へ進めばよいわけで、万年雪を頂いた天山山脈を左手に、ときには塩湖(塩の採取しています)を右手に見ながら行きます。 天山山脈の狭い部分を横断して南側に出ますが、この天山の冷たい空気と、砂漠で熱せられた空気から風が生み出されるので、上手に自然の地形を利用して、今では大規模な風力発電所も稼働しています。




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